目白 ブラッスリー ラ・ムジカ ブログ

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お店復帰と6周年

久しぶりの投稿になり、皆様にはご心配をおかけし申し訳ございませんでした。

沢山のお客様からお店や私がどうなっているのか問い合わせを頂きました。

そこで、理由を、きちんと説明させて頂きたく、宜しければ長文お付き合いください。

実は私、ジビエシーズンの狩猟中に自分の所持していた猟銃で暴発事故にあいました。

お陰様で、現在はなんとか退院しましたが、3ヶ月近く入院しておりました。

茨城県で許可を得て、霞ヶ浦での鴨猟に毎週月曜日、初心者故に練習も兼ねて欠かさず通っていました。

次第に慣れてくると、出猟すれば必ず何羽かは仕留められる様になり、それに伴いお店でのオーダーも沢山頂く様になり、ジビエは昔から好きなジャンルでしたので、毎週楽しく調理させて頂いてました。そして、少しずつですが猟果に自信をつけ始めた矢先…

予約頂いている分のジビエが足りなくなる事を考えると、仕事後、確実に猟果を、と寝ないで出猟する日が続きました。

そんなある日、いつも通り獲物を見つけ、銃に弾を込めました。銃とセットで運びだす獲物を回収する為の網や竿を取り出したのは良かったのですが、肝心の銃を置きっ放しにしてしまい、慌てて取り出したその時でした…

暴発はすぐには理解出来ませんでした…
数秒後、左手を弾がかすめ右足の鼠蹊部に被弾し流血している事を認識しました。
しかも運悪く動脈に当たってしまいました。

反射的に119番通報をしようと思いましたが、身体が言うことをきかず、しかも周りから見えづらい位置に倒れました。

その後気を失いました…

そのままだったら今頃は両親よりも先に荼毘にふされていました…

ところがそこで奇跡がおこりました!

日差しを感じながら意識が戻ったのです。
這いつくばりながらも気を失う前よりも何故か力が湧き、身体が動き、助手席にあった携帯をどうにか取り出す事ができました。

薄れゆく意識の中で何とか119番通報できました。
受けてくれた救急の方にあらかた場所を伝えましたが、地名まではあまり覚えておらず(恥ずかしながら極度の方向音痴なんです…)、なかなか思う様に伝わりませんでした。

そのまま電話を切らない様にお願いし、救急車と司令部と私とで場所の確認をしながら到着を待ちました。

その間、出血と共に視界や意識が、更に小さくなっていきました…

サイレンが近づくのは認識できました。
人間、死の直前まで耳は聞こえてる、ときいた事がありますが、まさにその通りでした。
救急車が到着した時には身体は動かず、視界も完全に失ってました。

駆け付けて頂いた救急隊の方の判断で直ぐにドクターヘリを要請して頂き到着を待ちました。

後に知りましたが、茨城県に一機だけあるそうで、もし別件で出動されていたら、と思うとゾッとします。

ヘリの中では適切な処置は行って頂いてましたが、ついに気を失いました。
そして受け入れ先の国立病院に着き救命救急病棟のオペ室に運び入れられたその瞬間、心肺停止になったそうです…

その後、医療スタッフの方々の適切な処置と大量の輸血等で、なんとか命を繋ぎとめて頂きました。

4日間、意識の無い状態でしたが、5日目に意識が戻り、急に大声で叫んだそうです。
「予約あるからここから出せー!」(笑)ホントです^^;

しかしかなりの大怪我なので、痛みを和らげる為に麻薬や点滴、飲み薬等、大量投与は免れません。

全く身体が動かせない状態で約二週間、救急救命病棟で過ごしました。

その間に自分の身体がどういう状態にあるか説明を受けました。

鼠蹊部が散弾で被弾した為に、大量の血栓が血流に乗り、心臓から遠い場所、すなわち足先に溜まりました。
血管が詰まり足先が冷たいのを触って理解しました。

医師からの説明で、やがて切断しないとならない、と宣告されました。

自分を産んでくれた母にだけは事情を説明する際に泣きました…

程なくして、足の指先から壊死が始まりました。
このままにしておくと全身に壊死からの菌がまわり死に至る、との説明も受けました。

その後、整形外科に移り、身体が手術に耐える体力を取り戻し、同時に覚悟を決め、いよいよ切断手術の日を迎えました。

覚悟を決めたとはいえ、不安はありました。が、意外にも手術室に入るまで冷静な自分がいました。

全身麻酔でしたので、手術中の記憶はなく、術後、退室したら直ぐに目が覚めました。

その瞬間、物凄い激痛が襲ってきました。

どうして良いか分からず、大声で叫びました。

そのままICUに入り2種類の麻薬の点滴と飲み薬で多少痛みは和らぎましたが、太ももには86発の弾が取り除く事は不可能で残っている、との事です(CTの画像を見たら太ももがピカピカ光っていました(笑)が、鉛による害は無い、と考えられています)

眠気を誘発する麻薬のお陰で寝てるか、喋る事もままならないボーっとする日が続きました。

日を追うごとに徐々に回復していき、上半身だけは起こせる様になりました。

バイタルチェックや採血の日々が続き順調に回復してきている、との事でしたが、断端の傷口がなかなか癒えませんでした。

結局縫合部を開放して様子を見る事になりました。

色々とチェックを受け再び縫合する日の事でした。

再び全身麻酔でオペをしました。

そして再手術当日…

前回同様に手術室から退室した際に目が覚めると再びあの激痛が…

縫合するだけなのに何故こんな激痛が…と思い、看護師さんに尋ねると、再び骨を切ったとの説明が。

縫合の際に念の為メスを入れ骨をチェックしたら、その周りに膿が付着していたそうです。

担当医師の賢明な判断で何とか膝下の適切な場所で切断してもらいました。

長い足が余計短くなったぢゃないか〜(笑)とも思いましたが。

術前は、縫合し2週間位で抜糸すれば待ちに待った退院だ!やっと店に戻れる!と思っていたので、正直、混乱し、落ち込みましたが、くよくよしても所詮は自業自得と思い、回復を待つしかありません。

やがて少しずつですが車椅子にも乗れる様になり、回復を実感しました。

そしてリハビリも始まりました。

ベッドの上で約2ヶ月、何も動けない状態が続き、筋肉がすっかり無くなってしまいました。

細くなった腕や足をみると悲しくなりましたが、リハビリ室で筋トレふくめ、出来る限りの事はしました。

何よりそれは、この3ヶ月近く、心配を掛けているお客様や、店を守ってくれているスタッフにもこれ以上迷惑はかけられない、との思いでした。

そしてついに、多少強引ではありましたが、担当の先生から退院の許可を頂きました。

そして現在はランチタイムを中心に、義足が出来るまでの間、片足でピョンピョンしながら調理場に立っています。

事故前は88キロあった体重が現在は73キロと、切断した分を除いてもだいぶ痩せたので、なんとか片足で立っていられます(笑)

長くなりましたが…

ある友人に言われました。

名誉挽回する為にもキッチリと治しなさいと…

名誉はいりませんが、挽回しないといけない事は、身体を含め、沢山出来てしまいました。

怪我と仕事と挽回と…

今、心に決めている事は、自分が天職だと思っている調理で、義足に慣れたら、必ず完全復帰し、今迄以上のお皿を作りだしたい!
との思いです。

ハンディキャップを背負っても必ずやれる!と自分を信じています。

最後に…

都内からかなり遠く、交通の不便な茨城の病院にまでお見舞いに来て頂いたお客様や友人、親族、家族の励ましのお陰で、ここまで強い思いを持つことができました。
絆のありがたさに何度も勇気をもらいました…

不安がないと言えばウソになりますが、今こそ初心に戻るチャンスと捉え、新たな価値ある料理を目指していきたいと思います。

お陰様で本日29日に6周年を迎えました。

毎年恒例の周年記念パーティーは、悩んだ結果、リハビリに専念する為今年は控えさせて頂きますが、必ず笑顔でお客様と再会する為に、最善を尽くしますので、今後ともブラッスリー ラ.ムジカをご愛顧頂けます様、何卒宜しくお願い申し上げます。

春の風を感じながら、再び生かされた命に感謝を込めて…

梶村良仁
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by lamujica | 2014-04-29 18:05 | Comments(0)

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